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旅の相棒はスマホじゃなく「鉛筆と手帳」。五感で切り取るアートな旅の記録方法

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写真を撮らない旅をしてみる

ロンドンを歩いていると、壁の影から突然、少女の絵がこちらを見つめている。風船を放したあの有名なバンクシーの作品だ。観光客が次々とスマホを構え、数秒のうちにその場を立ち去っていく。けれど私は、少し離れた場所に腰をおろし、手帳を開いた。鉛筆の芯を整え、息を整える。目の前の風景をそのまま書き写すのではなく、「ここで何を感じたか」を言葉にして残したいと思った。

旅の記録は写真だけではない。むしろ、撮らないことで見えてくるものがある。スマホのレンズ越しに見る世界は、いつも少し冷たい。明るさを調整して、構図を整えて、完璧な瞬間を選んで保存する。でも、その操作の間に、風の音も、人の笑い声も、少しずつ遠ざかっていく。

手帳に書くことは、世界ともう一度“出会い直す”こと。旅の静かな時間を、心の中で反芻する行為なのです。

鉛筆がくれる「静かな勇気」

一人旅の途中で、誰とも話さずに過ごす時間が増えると、不思議と感覚が研ぎ澄まされていく。道の角を曲がるときの風の向き、カフェの扉を開けた瞬間の匂い、街のざわめき。そうした何気ない音や光を、そのままノートに写し取る。たとえ拙くても、それは“世界を観察する力”を育ててくれる。

鉛筆を動かすうちに、自分の中の静けさが整ってくる。手を動かすことは、心を落ち着けるリズムを作る。たとえ寂しさを感じたとしても、そのページをめくれば、自分の足で歩いてきた記録がそこにある。

旅先で感じる小さな孤独や、胸の奥に残るざらりとした思いも、手帳に書くと不思議と優しくなる。「一人でいることは、さびしさではなく、自由なのだ」と教えてくれる。鉛筆は、言葉よりも静かに、あなたを励ます道具なのです。

言葉で「感じた世界」を形にする

旅の手帳に書くのは、日記でもメモでもない。それは「五感の記録」です。

バンクシーの絵を見たとき、心が少しざわついたなら、その“ざわめき”を言葉にして残す。「この絵の少女の目は、ロンドンの冬みたいに冷たくて、でもどこか優しかった」そんな一文でも、あなたの中に確かな感情の跡が残る。

言葉にすることは、自分を理解すること。旅先で感じたものを言葉にするたび、世界の見え方が変わる。そして、そのノートを読み返すとき、そこには「過去の自分の視点」が生きている。“あのとき何を感じたのか”を思い出すことは、“今の自分がどう変わったのか”を知ることでもある。

旅を重ねるごとに手帳のページが増え、書かれた言葉が少しずつ成熟していく。それは、あなたの人生が少しずつ深まっていく証拠でもあるのです。

誰にも見せない記録が、いちばん美しい

手帳の魅力は、誰にも見せないことにあります。SNSに投稿すれば、誰かの「いいね」が評価になる。けれど、手帳の中では、あなたが感じたことすべてが“正解”です。

そこには、バスを乗り間違えた日も、迷い込んだ市場で買った果物の匂いも、少し泣きそうになった夜も、すべてがそのまま残っている。そして数年後、そのページを開くとき、不思議と「自分を好きになれる」瞬間がやってきます。

完璧な写真よりも、にじんだインクの跡のほうが温かい。書き間違いの線や、雨のしずくで波打った紙の感触。それらすべてが、「その旅を確かに生きた証」なのです。

旅の終わり、飛行機の中で手帳を開く。そこに書かれた言葉たちは、観光地の情報でも、誰かの真似でもない。あなた自身の心が動いた瞬間の記録です。

バンクシーの壁画が、時間とともに消えていくように、私たちの旅の記憶も、いつかは薄れていく。けれど、鉛筆の線と手の動きで残した“感覚のかけら”だけは、静かに、確かに、あなたの中に残り続けるのです。

スマホを閉じて、手帳を開く。風の音を聞き、街の色を感じる。その瞬間、旅は「記録」から「表現」へと変わります。旅の相棒は、最新のデバイスではなく、一本の鉛筆と、一冊の手帳。それが、女性のひとり旅をいちばん美しく照らす道具なのです。

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